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日産プリンス宮城販売株式会社 遠藤敬二 石巻店 店長に聞く ~震災から1年~

日産プリンス宮城販売株式会社石巻店の遠藤敬二店長は、震災発生時、海からすぐ近くの石巻湊店に勤務していました。津波は店舗を直撃し、壊滅的な被害を与えました。震災当時の様子とその後の復旧に向けた取り組みについてお話を伺いました。

 

A:震災後、どのようにお店を復旧させたのでしょうか?

遠藤店長:

私は震災当時、石巻湊店におりました。被災してから会社の方針が決まるまで、1、2日、自宅で待機しておりました。石巻店とカーパレスという中古店をまずは復旧させようということになったのですが、一番最初にカーパレスを復旧させようということで、まずカーパレス店の床をみんなで掃除し、泥と店舗の中のものを外に出しました。

次に石巻店の中の泥を出して、洗車機で中を洗ってから復帰したという感じです。その後、昨年の暮れに工事が終わって、1月から床も新しいものに変えてもらい、今営業している状態です。

 

A:震災後、お客さまの関係に何か変化はありましたか?

遠藤店長:

多くの人には戻ってきていただいて、従来通り関係が続いています。ただ、亡くなられた方がたくさんいらっしゃいますので、そういった場合はそのクルマが形見だからということでご子息の方が来て頂いている場合もあります。

 

A:震災後、石巻店と石巻湊店は統合されましたが、販売にどのような影響がありましたか?

遠藤店長:

販売は湊店と石巻店が一体になったことで、プリンス宮城の中でも一番販売台数の多い店舗となっています。昨年度の上期(4~9月)は全国で一番多いくらい販売が出来たと思います。水没して流れてしまった車の代わりのものをお届けするような形ですね。ここにみんな立って商談しているような状況でした。

 

 

 

A:震災時、遠藤店長は石巻湊店にいらっしゃったとのことですが、当時、お店はどのような感じだったのでしょうか?

遠藤店長:

湊店は地盤が山の地盤で石巻店より硬かったですが、それでも岩山が崩れたので、これはかなり強い地震だと思い、すぐに仕事をやめさせました。海沿いなので避難して帰ったりすると津波で被災するので、とにかく早く避難しようということで裏山に逃げました。その後、津波が来て、クルマがばっと流れてくるような、どうしようもない状況になり、その時はただその様子を見ているだけでした。

4月7日の余震のときには街自体が水没していて何も機能しない状態でしたので、湊店はあきらめて、まず石巻店から復興しようということで作業を始めていました。ですから、お店の中を洗い終わって、もう始まると思っていた気持ちが4月7日の余震で気持ちが折れた感じでした。

ですが、時が経てば、お店にガラスが入っていなくても営業して、とにかくクルマを販売して、買っていただいて、復興の足にしていただこうと思いました。電車もないですし、石巻はクルマが流された地域も多いので、お客さまにクルマを納車しないとお客さまの足が確保できないという風に考えて、とにかくクルマをお届けしようと思い、仕事をしていました。

 

A:津波に対する意識は皆さんの中に強くあったのでしょうか?

遠藤店長:

石巻店はU字溝から水が溢れ出すような感じで、地震から津波まで間があったので、一度逃げて、それから戻ってきて、また逃げるという方もいました。湊店は海から近いので、最初から逃げていて、待っているところに津波が来る形でした。

私は従業員の身に何かあったら大変だと思って、みんな生きていればなんとでも復興できると思っていましたので、とにかく高いところに逃げるぞと。何もなければそれでいいじゃないですか。もし亡くなってしまったりしたら取り返しがつかないことですので、とにかく逃げようと。

海沿いの人は津波が来るというのが頭にあって、何日か前にも津波警報があったので、とにかく高いところに逃げようと思いました。蓋を開けたら天井ぐらいまで来る高さだったので、もうどうしようもできませんでした。

津波の高さは6~7mぐらいあったでしょうか。大きい通りは水路になってしまい、流れが速いんです。だからむしろ住宅密集地の方が家が押される分、津波の到達が遅いと。

4車線道路から水がすごい勢いで流れてきて、そこにいた車が山にぶつけられて、ぶつかった分の水は国道に走った感じでした。どうしようもできない状態でした。今の人は助かったんだろうかと思っても助けることもできない状態でした。水の流れがすごくとても飛び込めるような状態ではありませんでした。あーあー、とただ見ているだけでした。

 

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