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鈴鹿サーキット50周年

60年代初頭から日本のレースファンを魅了し続けてきた鈴鹿サーキット。

このコースは、ドライバーが世界で最もテクニカルなコースの1つと口をそろえる伝説のサーキットです。

鈴鹿サーキットのスタンドで応援するファンたち

F1のシーズン終盤にレースが行われることが多いこの鈴鹿サーキットでは、年間タイトル決定の場となることもしばしばです。

記念イベントの一環でコースを周回したのは、日産自動車の志賀俊之COOです。

志賀COOは、鈴鹿サーキット50周年を記念して行われた自動車業界の会社役員によるパレード走行に参加しました。

GT-Rに乗り込む志賀俊之COO

 

クルマを降りた志賀は、「今回、『NISSAN GT-R』を運転しましたが、時速50キロの制限があったのは残念でした。もっと走りたかったですね」と感想を述べました。

日産は鈴鹿サーキットの長い歴史にその1ページを刻んでいます。1964年に同サーキットで開催された日本グランプリにおいて、「スカイラインGT」が「ポルシェ904」を抜き去ったのです。

日本の自動車がヨーロッパに劣らないことを証明したこの瞬間は、日本のモータースポーツファンにとって忘れられないものとなりました。

志賀は、「私は当時まだ9歳でしたが、この出来事ははっきりと覚えています。1964年は日本でモータリゼーションが始まった年で、日産(およびプリンス)はモータースポーツの分野で常に時代をリードしていました。そして、日産で働くことが私の夢となりました。鈴鹿はクルマ好きにとって、とても重要な場所なのです」と述べました。

伝説の「スカイライン GT」

それから約50年が経ち、あの39号車がサーキットに戻ってきました。車両は日産の有志社員の手によってていねいに復元されました。

そして、当時のレースで2位に輝いた砂子義一さんがクルマに乗り込み、エンジンをかけると、その顔には笑みがこぼれました。

1964年のレース当日、砂子さんは同僚の快挙を目の当たりにします。砂子さんは、「ヘアピンカーブの前で生沢がポルシェの前に出たわけよ。だから俺は『さすが生沢!』って思ったわけよ」と当時を振り返ります。

しかし、鈴鹿サーキットの栄光は全て過去にあるわけではありません。

今年後半にはF1レースが再びこの地で開催される予定ですが、これからも多くの歴史がこのサーキットに刻まれていくことでしょう。

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