2012年12月28日
2012年ヘリテージシリーズ 総集編
まもなく会社創立80周年を迎える日産自動車の歴史にはいくつもの節目があり、それらがあったからこそ、現在の姿があります。
このヘリテージシリーズでは、その成長に貢献してきた人物や自動車に敬意を払い、これまでの歴史を振り返ります。
今回は今年1年を通して制作したヘリテージ映像を改めてご紹介したいと思います。
1958年「モービルガス トライアル」に挑戦した伝説の富士号と桜号
1958年、日産は世界で最も過酷なラリーと呼ばれた「モービルガス トライアル」に出場しました。日産車の耐久性を試すのが目的でしたが、結果として日産の歴史の重要な分岐点となりました。
現在でも語り継がれる日産のこの歴史的な挑戦を、2部構成でお楽しみください。
第1弾:運命を切り開いたクルマ: 富士号&桜号
第2弾:伝説のラリーカー復活:富士号&桜号
デイトナ24時間レース:日産、かく戦えり
日産が初めて伝説の耐久レースに参加したのは、ロレックス24と呼ばれるようになった1992年です。全員が日本人によって構成されたドライバーチームを率いて、日産モータスポーツ(ニスモ)はデイトナ24時間レースの過酷さを初めて体感することになりました。
結果的に、チームはレースで勝利した上に周回数記録を塗り替えて24時間を走り抜き、その業績はその後のニスモの更なる活躍へと繋がりました。
ミス・フェアレディの誕生と伝統
日産のギャラリーに初めてミス・フェアレディが姿を表したのは、1963年に銀座のショールームがオープンしたときでした。
それから50年が経った現在、日産の美しきギャラリーアテンダントたちは厳しいトレーニングを受けた知識豊富な日産のシンボルとなっています。こちらの動画では、過去と現在、時代を超えてフェアレディの存在に迫ります。
スカイライン伝説の始まり
1964年、三重県・鈴鹿サーキットで開催された日本GPで起こった奇跡の1ラップは今もファンの間で語り継がれています。
当時のスカイラインGTは、不可能とされていた海外のチャンピオンと真っ向勝負し、快挙を成し遂げました。それは、スカイライン伝説の始まりを告げる物語となりました。